NICOLAS STORY


このページでは、シュードル ニコラが来日してから今日までをご紹介しています。
今のAES JAPONがあるのは、孤軍奮闘しながらの苦しい日々の中に、

今もブレずにいるニコラの精神があるからです。

 

ふたつの故郷  ボルドーと福岡

1989年に 福岡で行われた「アジア太平洋博覧会 よかトピア」ではボルドー市と福岡市が1982年に姉妹都市として締結していたことから、文化交流を目的とした「ボルドー館」が建てられました。
フランス人の父と日本人の母を持つシュードル ニコラ(以下ニコラ)は、ボルドー大学でワイン醸造学を専攻していた学生時代に、そのボルドー館の館長として24歳の若さで来日しました。そのきっかけは、まさに偶然の連続。
姉妹都市締結に深く関わっていた父親の存在と、フランスと日本をワインで繋げたいという強い思いが、ニコラにとってボルドーと福岡の「ふたつの故郷」としてかけがえのない場所になっていく物語が始まります。

 

なぜ?疑問だらけの日本のワイン文化

 

ボルドー館館長を務めていた時に、福岡の百貨店での仕事のオファーがあり、そこにニコラは入社します。
数々の職務を経て、ワインの売り場を担当しているときに、日本でのワインの売り方に疑問を感じます。
ただ単にワインを店頭に並べているだけの陳列。価格が高いワインが「良いワイン」と評する日本人の風潮。
「ワインはギフトのためにある」という百貨店の固定概念。
日本のワインに対するイメージは、フランスでは考えられないことばかりでした。
このままでは駄目だと思い、当時の上司に掛け合い、独自のセレクションと企画で販売を始め、次第に売れていきます。

 

本当のワインライフ

 

ただ、フランスの暮らし、「本当のワインライフ」を伝えるのは、そう簡単なことではありませんでした。
もっと自由に、もっと身近に。
日本でのワインの売り方に疑問を感じたニコラは、ワインの本当の価値や文化を伝えるためにワインの直輸入販売を始めました。
その後AES JAPONを設立し、本格的にワインライフカンパニーとして大きな一歩を歩みます。
日本独自の酒文化、特に福岡・九州は焼酎文化もあります。またより安価で美味しいウイスキーや酎ハイなど、酒販市場は大激戦の時代。
ワインも健康志向の影響やボージョレーヌーヴォーなどで市場規模を拡大してはいましたが、まだまだ「安いか?高いか?」で判別される時代。
ニコラはじっとフランスの葡萄農家や小さなシャトーまでを一軒一軒周り、造り手の想いに共感したものだけを日本へ輸入させます。
ワインには「ニコラセレクション」のラベルが貼られ、ニコラの想いが込められました。

次のステージへ

今、この瞬間にも美味しいワインをお客様へお届けするにはどうすべきかを考え続けています。そしてたどり着いたのが、私たちが納得のいくワインを作る「ワイナリー」を持つことでした